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大鳴門橋

大鳴門橋の概要

大鳴門橋
 大鳴門橋(おおなるときょう)は、兵庫県南あわじ市福良丙 (淡路島門崎)と徳島県鳴門市鳴門町土佐泊浦(大毛島孫崎)間の鳴門海峡の最狭部を結ぶ吊り橋。1985年(昭和60年)6月8日に開通。
 上部工の下層部分は将来的に鉄道 (四国新幹線)を通すことが出来る構造となっており、橋脚の基礎部分は、渦潮への影響を最小限に抑えるために多柱基礎構造を採用している。
橋桁内には「渦の道」という海上遊歩道が造られており、眼下に渦潮を見ることができる。
 瀬戸内海国立公園および名勝に指定された鳴門海峡にふさわしい景観をもつ道路として、昭和62年度「日本の道100選」に選定された。
型式3径間2ヒンジ補剛トラスつり橋
ケーブル支間割330m+876+330+(93m)
( )はバックスティで、淡路側の側塔と道路をつなぐ部分
中央での路面の高さ海面上約63m
桁下高さ海面上約41m
主塔の高さ海面上約144m
ケーブル直径・本数84cm・2本
補剛桁(補剛トラス)高さ12.5m 幅34m
主塔基礎建設地点の最大水深 約9m
建設地点の最大流速 5m/秒
平面寸法 60m×25.5m
根入れ 海面下20m
アンカレイジ躯体の平面寸法 51m×70m
根入れ 最深部で18m
主要数量コンクリート 287,400m3
鋼 材 76,730t

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